堕天使のデトックスノート

看護師。外科。消化器と乳腺。。自転車。甘味。元JW2。JWはもはやネタ。割と楽しく生きてます。

カルト加害の追憶

 

ふと思い出して心が痛むのが、自分がカルトの加害者だった記憶だ。

 

開拓者として何年も過ごしてきたので、ご近所にかけた迷惑は数知れずだろう。

 

そもそも布教活動は親や組織が推奨し褒めてくれるもんだから続けていたようなもので(この辺からして自分の心がいかに歪んでいたかが垣間見えるけども)。

 

本来は布教活動など微塵も楽しいと思ったことなかったし、何を信じるかはその人個人の選択であるとの強い考えがあったため、余計なお世話としか思えなかった。

 

未信者のご主人(久しぶりにこのワード使ったw)から「堕天使くんって、エホバの話を全然してこないよね」と言われたことも。

 

それでも続けていたのは、当時はいい教えだと信じていたので、訪ねる人々にわずかながらでも慰めと安心を提供できればと考えていたからだ(まぁこれも上から目線で余計といえば余計)。

 

だから研究生を持つなんてハナから関心なかったし、とにかく聖書を使って聖句を紹介していくのが好きだった。

 

それでも突然家を訪ねてきて、家族の幸せがどうの、将来がどうのなんて言われても、ねぇ…

 

 

 

 

 

たくさんの迷惑をかけたであろうこの開拓奉仕の記憶よりも鮮烈に残っているのが、会衆にいたたくさんの子供たち。

 

自分が開拓奉仕を始めた当時、会衆には3歳〜高校生までの子供・若者がそうねぇ、30人はいたかな。いや、嘘じゃなくほんとに。だって子供が4人いるファミリーが4世帯もいたから。

 

なんども言うけど、どう生きるか、何を信じるか、何に価値を持つかは自己で選択するべきという信念にも似た考えを、自分は強く持っていた(なぜかは知らん)。

 

なのでこども本人がやる気を見せている場合をのぞき、まったく励ましというものをしなかった。奉仕に来なかろうが、集会で寝ていようが、本人の自由でしょと思ってたし。

 

霊性が弱くなってるからと親や長老が子供の援助をするよう頼んできたときには、そんなん逆効果だろ、余計なことすんなと思いつつも、楽に奉仕時間が入れられるとの闇の動機のもと、散々(聖書研究などさっさと終えて)一緒に遊んだ。

 

自分の信じるものが真理であるならば、その魅力ゆえに自然と感化されていくだろうとの考えもあったから、感化されないのはそれなりの理由があるんだろと思っていたし。(まさか自分が信じているものが微塵も真理などではないとは当時は思いもよらず)

 

でもどうせこの組織にいるなら楽しんでもらいたいと思っていたから、スポーツやBBQ、パーティといった様々な企画を考え実施していた。子供たちの笑顔を見られたのは嬉しかったし、自分も楽しかったなぁ…

 

いま思えばプレステなどのゲームの楽しさを教えてくれたのは彼らであった笑

 

そんな彼らも思春期前後に次々と組織を離れていき…

 

でも自分の企画するイベントや、たまに集会にきたときには声をかけておしゃべりしたり悩みを聞いたりして関係性は断たないよう、いつでも彼らの救いになれる存在であろうとした(今から思えばこれも相当におこがましい考えである)。

 

自分が価値を感じる教えや組織から離れていく寂しさはあったものの、エホバの証人にはならない、自らの生きかたを追求する彼らの選択を尊重したかったし、応援したかった。

 

 

 

 

 

でも

 

今でも心が痛む記憶が3つある。

 

全く集会に来なくなった子があるときふと集会に来た。集会が終わった後に声をかけ、他愛もないおしゃべりをしていた。楽しかったようで終始笑顔。会衆の仕事があったので「またね」と声をかけ、そしてなぜか自分は(普段言わないのに)こう言った。「よかったらまたきてね」。

 

その時、2世特有のあの引きつった、作り笑顔を見せた。

 

失敗した。

 

そう思った。その子とはその時以降会っていない。

 

また別の集会に来なくなった子と、その子のバイト先に食事に行った時にたまたま会ったことがある。暇な時間だったこともあり、近況や恋バナを少しした。

 

そして会計を終え、店を出る前になぜか、なぜか記念式のパンフレットを渡して「よかったら来てね」と言った。

 

その子も、作り笑いになった。

 

仲がよくてよく話す子がいた。妹と同級だったからか。いろいろ話したなぁ。

バプテスマを目標にしていたが、ぱったりと集会・奉仕に来なくなり、引っ越して彼氏と同棲すると聞いた。応援したいと思った。幸せになれればそれでよい。

 

でも彼女は自ら命を絶った。

 

自分は何を見ていたのだろう。笑顔の裏に隠された悩みがいろいろあっただろうに、本当はバプテスマを目指す彼女しか評価していなかったのでは。そう思った。

 

彼女とはもう2度と会うことはできない。

 

 

 

 

 

自分は彼らに何をしてきたのか。本当は自分も宗教にかれらを引き入れることを望んでいたのかも知れない。それが表れていたであろう自分の言動で、きっと彼らは傷ついたこともあっただろうな。自分はいったい彼らの何をみていたのか。

 

心を閉ざしたであろう瞬間を目の当たりにした記憶が、自分が加害者でもあったことを痛烈に思い起こさせる。

 

 

 

 

 

カルトには被害と加害の二面性があると言われる。自分も例外ではない。

 

自分と向き合うためにも、加害者であった自分を認めなきゃいけない。加害者だった罪悪感を、被害者として組織や親を恨み攻撃する材料にしては、自らの進歩はない。

 

自分の過去と向き合い、今この時の人生を生きることは、自分のためであり、そして自分なりの贖罪と鎮魂のためでもある。

 

彼らの人生に幸あらんことを。

 

そして

 

気づいてあげられなくてごめんね。どうか安らかな休息を。