堕天使のデトックスノート

看護師。外科。消化器と乳腺。。自転車。甘味。元JW2。JWはもはやネタ。割と楽しく生きてます。

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論①「血液分画」

 

アメブロを使ってましたが芸能人やらなんやら余計な機能が多いのでこちらに引っ越しし、記事を移しました。

 

まずはエホバの証人の輸血拒否の教理の矛盾点についてまとめていきます。

 

※注1 
今回あらためてエホバの証人の輸血に対するスタンスを調べなおしました。しかしJWの発行する「継続的委任状(俗にいう輸血拒否カード)記入のための指示」は2004年から改訂されていないようなので、ここ10年間は輸血や血液分画製剤に関する指示に大きな変更はないようです。

まずは血液・輸血に関する一般的な知識について簡単に振り返ってみましょう。

 

①血液について
血液とは「血球(赤血球、白血球、血小板)と血漿」のことです。
血球は細胞または細胞のかけらですが、血漿は90%程度の水分と、その他に電解質、糖質、脂質、様々なタンパク質などが含まれています。血漿に含まれるタンパク質の中には、アルブミン、フィブリノーゲン、グロブリン、またホルモンなどがあります。

 

②輸血について
輸血とは赤血球、血小板、血漿を静脈へ投与することを言います。
全血、および白血球の輸血はリスクが高い上に代替療法が発達していることから、現在はほとんど行われないそうです。
エホバの証人が拒否するのは、全血、または血球、血漿成分です。

 

③血液分画について
血液分画とは血球や血漿をさらに細かく分けた成分のことを指します。
医療分野で血液分画製剤といえば、血漿に含まれる3つの主要なタンパク質、アルブミン、フィブリノーゲンなどの血液凝固因子、グロブリンのことを指します。
エホバの証人は、この血液分画に関しては、個々の人たちが受け入れるかどうかを自分で決めなければならないとしています。

※注2 
エホバの証人は「ものみの塔」誌2004年6月15日号で、赤血球からも分画を取り出せると説明していますが、少なくとも私が学んだかぎりでは、赤血球から抽出された血液分画製剤(ヘモグロビン)は出てきませんでした。
もしかしたらアメリカなどでは赤血球からの血液分画製剤が臨床で使われているのかもしれません。

※注3 
ものみの塔」誌2004年6月15日号P30では血液分画について誤解を与える説明がなされているので注意が必要です。
血漿から様々な分画を取り出せるのと同じように,他の主要成分(赤血球,白血球,血小板)も,処理すれば,さらに細かい要素を分離することができます。例えば,白血球細胞からは,ある種のウイルス感染やがんの治療に用いるインターフェロンやインターロイキンを取り出せます」
ここではインターフェロンやインターロイキンが血液分画であるかのような説明がされていますが、これらは白血球から放出されるサイトカインの一種であり、厳密に言って白血球の分画ではありません。白血球分画と言えば通常は、リンパ球や好中球、好酸球など、白血球をさらに細かく種類分けしたものを指します。

 

④血液分画の種類と適応
a. アルブミン製剤 : 血漿タンパク質を合成する肝臓がやられるなどして血液中のアルブミンが少なくなると、血圧の低下、むくみなどの弊害が生じます。こうした症状を改善するために投与されます。

b. フィブリノーゲンなどの血液凝固因子 : 血液が固まって止血される過程は非常に複雑です。この過程をカスケード反応と言いますが、これらの複雑な反応がおこるためには、いろいろな種類の血液凝固因子が必要です。このうち1種類でも欠けると血液は固まりません。たとえば血友病の患者さんは、この血液凝固因子のうち、第Ⅷ、または第Ⅸ因子が欠乏しているために、血液が固まらないわけです。こうした患者さんには、血液凝固因子を補充して出血傾向を防ぎます。

c. グロブリン製剤 : グロブリンのうち、とくにガンマグロブリンは免疫に関与する非常に重要なタンパク質です。血液中にガンマグロブリンが少なかったり、重度の感染症にかかったときに投与されます。

ざっとですが、血液と輸血に関する知識を見てきました。


では、エホバの証人は輸血を拒否するのに、なぜ血液分画製剤は個々の良心的な決定であるとしているのでしょうか。

ここからが疑問なんですが…

先ほど取り上げた「ものみの塔」誌2004年6月15日号で示されている根拠は、解剖生理学的なもののみです。聖書的な根拠は示されていません。
ポイントとなるのは…
胎盤を通して妊婦の免疫グロブリン(IgG)が胎児に移行している
胎盤を通して胎児のビリルビンが妊婦へ移行し、妊婦を通して排泄されている
血液分画が妊婦と胎児という別々の人間の間で移動しているのだから、受け入れても差支えないという説明です。

「どこまでが血液なのか」
この問いに対するエホバの証人の見解はきわめてお粗末であいまいなものです。
人の人生を左右する指示が、聖書的な根拠に基づく神への信仰ではなく、医学的・解剖生理学的な根拠とはどういうことでしょう?それって、神の見方というよりも多分に統治体の価値観ではありませんか?

明確な聖書的根拠が示されていない以上、なぜエホバの証人は血液分画の受入れを良心的な問題とするのでしょう?なぜ血液分画を受け入れてもOKと断言しないのでしょうか?
血液分画を受けれた人と受け入れずに亡くなる人にはどのような違いがあるというのでしょう?
命が関わる問題を良心的な問題として片付けるには、あまりに無謀ではないでしょうか。
そもそも、血漿の主要な成分である血漿タンパク質を受け入れても良いとするならば、ほとんど水と血漿タンパク質からできている血漿成分そのものを受け入れてはいけないのはなぜなのでしょう?
血漿成分のうち血漿タンパク質、つまりアルブミン、血液凝固因子、グロブリンが良心的な問題であるのに対し、同じく血漿に含まれる水やホルモン、電解質、糖質の補充については、エホバの証人が問題視していないのはなぜでしょう?

さらに注目すべきなのは、以前のエホバの証人は血液凝固因子を体内に入れることを輸血とみなしていたという事実です。
血友病の患者さんは血液凝固因子が欠乏しているため、1週間に1回、血液凝固因子を自己注射しなければなりません。
この点についてエホバの証人は、1回目の自己注射はOKだけど、2回目以降の補充は治療になるから輸血に当たるとして禁じてきました。
しかし現在では受け入れてもOKですか。
しかもその変更の根拠となるのが解剖生理学的な理由ですか?
変更に至るまでの間に、血液凝固因子の補充を拒否して亡くなったかもしれない血友病エホバの証人は、聖書的な根拠もない指示に従って亡くなったわけです。
これらの人たちの血はどこに帰されるべきでしょう?
個人の価値観に基づいて指示を出した統治体に、血の責任があるのではありませんか?

どこまでが血液なのか
この点に関してエホバの証人はいまだあいまいな態度をとり続けています。
聖書的な根拠もない統治体の価値観に従って亡くなってきた大勢の個々のエホバの証人に対する責任をあいまいにするどころか、その事実にすら触れようとしません。もちろん、謝罪などなし、です。

ものみの塔」誌2012年7月1日号P5の囲み記事にはこうあります。
「神は偽りの宗教を嫌悪しておられます。事実,神の言葉 聖書によれば,「地上でほふられたすべての者の血」の責任は偽りの宗教にあります。( 啓示18章24節 )偽りの宗教は,愛そのものであるまことの神について教えてこなかったゆえに,神の目から見て,流血の罪を負っているのです。― ヨハネ第一4章8節 」

聖書に基づかない指示で多くの人を殺してきた統治体は、愛そのものであるまことの神について教えてこなかったことになります。
エホバの証人は自らの出版物により、自らを「神の目から見て、流血の罪を負っている」者であると証しているわけです。
なんとも皮肉な話ですね。