堕天使の雑記帳

2014年5月からアメブロを利用してましたが、この度こちらへお引っ越し。

父親像

映画「ヒトラー 最後の12日間」

 

ヒトラーユーゲントのとある少年が、ほかの少年少女とともに、街に残された高射砲で、侵入してくるソ連軍と戦う準備をしていた。

 

彼はすでに敵戦車を2両破壊し勲章を得ているほどだったが、その子の父親が高射砲の下にいる少年に言う

 

「戦争ごっこはやめて家に」

 

片腕のない父親は戦争経験者なのだろうか。圧倒的戦力を前に高射砲1門のみで立ち向かおうとする少年少女たちの行動を「戦争ごっこ」として一蹴し、家に帰るよう促す。

 

「何者だ!」

 

年上の少年が叫ぶ。戦争経験はあるのかという父親の問いに、

 

「その名誉には、まだ」。

 

父親

 

「戦場を知らなくて幸いだ。子供らを家に帰せ」。

 

あくまでヒトラーのために戦うと声高に叫ぶ少年少女たちに父親はさらに言う

 

「目を覚ませ!もう負けだ!」。

 

「憶病者!!」

 

子どもである少年はそう叫び、走り去っていく。

 

 

 

ソ連軍がベルリンに侵入し、少年少女たちは次々倒れ、ついに敵前で自殺していく。

 

父親の子どもである少年はその時その場におらず、戦闘が終わった後に高射砲のところに来るが、仲間たちはすでに全滅した後だった。

 

絶望の表情を浮かべる少年。

 

憶病者もの呼ばわりした父親の下には帰りづらいのか、行き場なく破壊されたベルリンの街を逃げ惑う。

 

 

疲弊し弱り切った少年は、ついに家に至る階段を登っていく。

 

階段の上では、いつからだろうか、父親が座って少年の帰りを待っている。

 

「ペーター」

 

名前を呼ばれた少年は父親にかけ寄り抱きつく。

 

父親は涙する少年をしっかりと抱きしめ、こういう

 

「いいんだ、よく帰った…」

 

 

 

聖書にある放蕩息子のたとえ話をほうふつとさせるシーンである。

 

わたしはこのシーンが好きだ。

 

正直、いい大人な息子が父親の財産を食いつぶした挙句に家に舞い戻って保護を得ようとする放蕩息子のたとえ話は、どうしようもないクズなニートの当然の末路と甘えとしか思えないが、この映画のシーンは好きだ。

 

幼い子どもが道を踏みはずそうとしていれば叱責し、踏み外してぼろぼろになっても幼さゆえの過ちを責めずに優しく受け入れる。

 

子どもにとっての理想の父親ではないかと、わたしは思う。

 

かの宗教組織の薄っぺらな内容の雑誌やら本やらを読むくらいなら、この映画を見るべきだ。

 

組織のルールに違反しようものなら、容赦のない様々な制裁が、幼い子どもの頃から与えられ続けた。

 

怯えながらも、親から自立して生活する能力がなく、発達途中の未熟な精神では、親元を離れさる選択肢は、ない。

 

結果、親のいいなりに行動するしかなくなる。

 

とくに神権家族と呼ばれる父親も信者な家庭ならばなお自立は困難である。

 

そんな苦痛を強いる親や組織に、この映画に出て来る親の愛情など教えられるはずもない。

 

魅力的な父親像を示すこの映画の方が、よっぽどタメになる。

 

そんなことを思いながらの映画鑑賞。

 

あ、そして本作の主役である秘書役のアレクサンドラ・マリア・ララの笑顔に一目惚れしたのはここだけの話(*⁰▿⁰*)

 

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エホバの証人の輸血拒否の教理への反論⑧「母乳⑵」


「母乳⑴」の記事では、血液に関する話が中心となりました。

ポイントは…

1. エホバの証人が血液分画の輸血を受け入れる理由は、異なる2人の人間間を血液分画が行き来しているということである

2. 白血球はいくつかの種類の細胞に分けられる

の2点でした。

では次に、母乳について見ていきましょう。


【母乳はどのように作られるか】

ご存知のように、人間から出るあらゆる液体(汗、涙、尿、唾液など)はすべて血液から作られます。もちろん母乳も血液から作られます。

女性が妊娠して赤ちゃんを産む直前になると、ホルモンの働きにより乳房内で母乳を作る準備が始まります。乳房内にはブドウの房のような形の「乳腺葉(にゅうせんよう)」があります。母乳生産工場のようなものです。

この乳腺葉を構成するブドウの粒にあたる「腺房(せんぼう)」の周りに動脈が走っています。工場の中にある生産用の機械が「腺房」、機械に原料を運んでくるベルトコンベアーのようなものが「動脈」と考えればわかりやすいかと思います。

動脈から供給される原料となる血液が、腺房という機械で加工されると母乳が作られるというわけです。作られた母乳は「乳管」を通して外に運ばれ、赤ちゃんが飲むことができるようになります。

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【母乳の成分】

このように、母乳は血液から作られるため、その成分は血液と非常によく似ています。しかし今回はそれら母乳の成分について事細かに語るのが目的ではありません。母乳の成分のうち、免疫に関わる成分、とくに細胞成分を見ていきたいと思います。

お母さんが赤ちゃんを産んでから最初の3日から5日くらいまでは、粘り気が強い「初乳」と呼ばれるタンパク質やミネラルが豊富な母乳が出てきます。この初乳にはとくに免疫成分が多く含まれており、白血球細胞は1mLあたり10万~100万個含まれています。

そして産後1週間くらい経つとさらさらな「成乳」と呼ばれるエネルギーや脂肪が多い母乳が出てくるようになります。このころになると徐々に免疫成分は少なくなっていき、白血球細胞は1mLあたり1万個ほどになります。

これを、血液中の白血球の基準値と比較してみると以下のようになります。母乳中の白血球数は1mLあたりなのでこれを1μLに換算しています(1mL=1000μL)。

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成乳ともなると微量と言えますが、初乳ではかなりの数の白血球細胞が含まれており、決して無視できる数ではないことがお分かりいただけるのではないでしょうか。

さらに以下の表もご覧ください。とくに母乳中の免疫に関わる細胞成分に注目していただきたいです。 f:id:BistroSan415:20161219214152j:plain

母乳に含まれる白血球は、好中球、マクロファージ、リンパ球がほとんどであることがわかります。

では、血液中の白血球の中で、大部分を占める白血球の種類は何だったでしょうか。

昨日の記事に添付した表「白血球の成分」をご覧いただければ容易に分かると思います。そう、好中球、マクロファージ、リンパ球です。つまり母乳中の白血球の成分は、血液のそれとほとんど変わらないということになります。

以上の点をまとめると、

① 母乳には無視できない数の白血球細胞が含まれている

② 母乳に含まれる白血球の成分は血液中の白血球とほとんど変わらない

と結論することができると思います。


エホバの証人が母乳を容認していることの意味】

この医学的な事実は、エホバの証人にとってどのような意味があるのでしょうか。

エホバの証人は血液分画の輸血を許容するための根拠として、異なる2人の人間間を血液分画が行き来しているという医学的事実を挙げています。

では、母乳に関してはどうでしょう。お母さんから赤ちゃん(別々に存在する異なる2人の人間)へ、白血球という血液の主要成分が、しかも食べ物として口から取り入れられています。

エホバの証人は「血を避けなさい」という聖書の言葉を文字通り解釈し、食べ物として口から取り入れることはもちろん、輸血として血管内に取り入れることはできないと教えています。

彼らの解釈からすれば、口から血球成分を取り入れることになる母乳栄養は聖書に反するということになります。

しかしエホバの証人に関係する方であれば誰しも、エホバの証人のお母さんが赤ちゃんに母乳を与えていることを知っていますし、組織から母乳を摂取することを禁じられているわけではないことも知っています。いえむしろ、聖書中に母乳を与える記述があることから、エホバの証人は母乳栄養に関して非常に好意的な文章をいくつも残しています。
エホバの証人の「索引」の「母乳で育てる」という項目参照)

なぜでしょうか。なぜ白血球を多く含む母乳は容認されているのに、成分輸血は拒否しなければならないのでしょう。この点に関し、エホバの証人は明確な答えを提供していません。

しかし理性的な方なら誰しも、エホバの証人が血液分画を受け入れる医学的根拠を前提にして考えれば、エホバの証人は血液の主要成分を受け入れても良いことになると結論することでしょう。


【引用・参考文献】
① 「新生児学入門」第4版 仁志田 博司 医学書院 2012 P182~184
②「よくわかる母乳育児」改訂第2版 水野 克己 2012 P68~79
③「病気がみえる 産科」第3版 メディックメディア 2013 P364~366
④「母乳の免疫機能-抗体とミルクムチンによるロタウイルス感染の予防」 金丸 義敬 化学と生物Vol.35、No.2 1997 P111

 

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論⑦「母乳⑴」

 

元(あるいは覚醒現役)JWのブログを読んできた中で、今まで気になりつつも掘り下げて考えて来れなかったテーマがあります。輸血拒否の教えがおかしいとおっしゃる多くの人が取り上げている「母乳に血液成分が含まれている」という点です。


【血液とは何か】
そもそも血液とはなんでしょうか。

血液は4つの成分からなっています。赤血球、白血球、血小板、血漿の4つです。このうち赤血球、白血球、血小板は血球と呼ばれる細胞成分、血漿は細胞を一切ふくまない液体成分です。

この点を踏まえて、血液の成分について簡単にまとめると以下のようになります。

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※基準値は文献・病院などの施設ごとに異なります。

 

このうち輸血として実施されるのは赤血球、血小板、血漿の3つです。エホバの証人は聖書に基づくという輸血拒否の教えにより、いかなる場合であれ、全血輸血または3つの成分輸血を体内に取り入れないことになっています。
※基本的に白血球の輸血が行われることはありません。輸血された人(血液)を異物とみなして攻撃してしまうからです。

しかしエホバの証人は、これら血液の主要成分をさらに細かくした血液分画は各自の判断で輸血してよいと教えています。
彼らの文献によれば「① 妊娠中は胎盤を通して母親から胎児に免疫グロブリン血漿に含まれるタンパク質)が移行している、② 妊娠中は胎盤を通して胎児のビリルビン赤血球が分解されてできた排泄物)が母親に移行して排泄される」という2つの点を取り上げ、血液分画が異なる2人の人間の間を行き来しているのだから、血液分画は輸血しても良いという解釈をしています。
ちなみにこの点に関してエホバの証人は、上記の医学的根拠のみで説明しており、聖書的な根拠を示してはいません。

さて、この異なる2人の人間の間を血液分画が行き来しているのだから血液分画ならば輸血してもよいというエホバの証人の考え方がポイントとなります。


【白血球の成分】
では、母乳について語る前に白血球についてもう少し詳しく見ていきましょう。白血球とは、免疫に関係するいくつかの細胞の総称です。白血球の成分と役割について簡単にまとめると以下のようになります。

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※ 基準値は文献・病院などの施設ごとに異なります。
※ 基準値は白血球数に対してどれくらいの割合かを示しています。
※ 基準値を合計しても100%にならないのは、個人差、体調などによって変動するためです。

 

人間の体は毎日たくさんの病原体にさらされています。どんなに健康な人でも気づかないうちに感染しています。しかし病原体に感染しても病気にならないで済んでいるのは、これら免疫に関わる細胞たちが一生懸命働いているからです。

かなり長くなりそうなので、続きは次回の記事でアップします。

ちょっと小難しい内容になりましたが、とりあえず今日のポイントは…
1. エホバの証人が血液分画を受け入れる理由
2. 白血球の成分
といったところでしょうか。これらの点を念頭に置いておくと、エホバの証人の輸血拒否の教えがいかに矛盾しているかを再確認できると思います。


【引用・参考文献】
① 「病気が見える 血液」 第1版 メディックメディア P2~8
② 「ものみの塔2004年6月15日号」 ものみの塔聖書冊子協会 P30

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論⑥「命こそ大事」

 

「血は神聖」とするエホバの証人の教えが聖書と矛盾することをさらに掘り下げていきます。


エホバの証人が「血は神聖」と主張するための根拠としている聖句はレビ記17章10~14節です。この点をエホバの証人がどのように説明しているのかを振り返ってみましょう。

「聖書では、魂が血のうちにあると言われています。それは、血が生命作用と極めて密接な関係を持っているからです。神のみ言葉はこう述べています。「肉の魂は血にあるからであり、わたしは、あなた方が自分の魂のために贖罪をおこなうようにとそれを祭壇の上に置いたのである。血が、その内にある魂によって贖罪を行うからである」。(レビ17:11)同様の理由で、しかし血と生命作用との関係をなお一層直接的なものとみなして、『あらゆる肉なるものの魂はその血である』と聖書は述べています。(レビ17:14)明らかに、神のみ言葉は、命と血の両方を神聖なものとして扱っています。」
~聖書に対する洞察p178

確認しておきたい重要な点として、新世界約聖書のどこを見ても「血は神聖」と述べる聖句はないということです。もしあればエホバの証人はその聖句を取り上げるはずですが、エホバの証人の資料のどこを見てもそうした聖句の引用はないはずです。「洞察」の本の説明からもわかるように、エホバの証人が「血は神聖」と主張する根拠となる聖句は常にレビ記17章10~14節です。

一見すればこれらの聖句は、エホバの証人の意見を裏付けているように見えます。ですがレビ記において「肉の魂は血にある」「あらゆる肉なるものの魂はその血である」と述べられている真意は何でしょうか。血液そのものが常に命を含むもの、血液そのものが神聖であるというのがその聖句の言わんとしていたことなのでしょうか。


【「肉の魂が血にある」とはどういう意味か】
レビ記17章10~14節は確かに「血を食べてはいけない」と言っています。ではどのような場面・状況で食べてはいけないと言っているのでしょう。

10~12節では「贖罪」、13~14節では「狩猟」を想定しています。つまり、捧げ物あるいは食用となる動物の「血を食べてはいけない」と述べられているわけです。
レビ記以外の箇所で、血を食べてはいけないと述べられている聖句はどうでしょうか。たとえば創世記9章3,4節では、動物を食物としてよいが「血を伴う肉を食べてはならない」という神の命令が載せられています。つまり「食用」とする状況を想定しているわけです。

「血を食べてはならない」と言われたのはすべて、血を流したであろう動物たちの命が失われた場合であるという点に注目してください。聖書は「肉の魂が血にある」(新共同訳では「生き物の命は血の中にある」)という概念を確かに伝えていますが、それは血を流す対象の命が失われている場合に限られて用いられています。

わたしは聖書学者ではないので仮説の域を出ませんが、言い換えれば、動物が殺されて命を失った時点で「生き物の命は血の中にある」ようになるということではないでしょうか。

この考えを裏付ける点として、聖書が殺人について表現している以下の聖句に注目してください。

出エジプト記22章2節
「もし盗人が押し入るところを見つけられ、打たれて死ぬことがあっても、その者に対する血の罪(新共同訳「血を流した罪」)はない」

サムエル記第二21章1節
ダビデはエホバの顔に助言を求めた。するとエホバは言われた、『サウルの上と、その家の上に血の罪がある(新共同訳「血を流したサウルとその家に責任がある」)。彼がギベオン人を殺したからである』」

人間の命を奪う行為である殺人が、血と関連付けられて表現されています。新世界訳では分かりやすく「血の罪」と表現しています。これらの聖句も血と命は関連していることを示していますが、それはすべて人間の命が奪われた状況に限られています。

このように

聖書から考えていけば、血液そのものが命を表すようになるのは、動物であれ人間であれ対象となる生物が命を失った時であると結論できると思います。

こうして考えてくると、エホバの証人の「血=命」「血は神聖」「血は命を含む」という主張は不自然になってきます。エホバの証人は生きている人間から採られた血液も神聖であり、ゆえに体内に取り入れる輸血を拒否するべきであるとしているからです。

次に、聖書はその点なんと述べているかを見てみましょう。つまり現に生存している人間から流れる血液を神聖なものとしているかどうかという点です。


【「血は神聖」という考え方の不合理】
以前の記事に続き、エホバの証人のいう「血は神聖」という考え方が正しい前提で考えていくと、聖書の他の箇所の記述と合わない点について述べたいと思います。

先ほど聖書(新世界約)では殺人が「血の罪」と表現されていると述べました。しかしエホバの証人がいうように血が常に命を表す神聖なものであるならば、生きている人間から流れ出す血液も神聖なものであるということになります。

聖書はそうした考えを伝えているでしょうか。

生きている人間から血が流れる2つの状況を考察していきます。一つは暴力、もう一つは女性の月経と出産についてです。
※デリケートな内容ですので読み進めるかどうかは自己判断でお願いします。

① 暴力
もし血液が常に命を表し神聖なものであるならば、血液が流れるであろう暴力行為も、殺人と同じく「血の罪」として扱われてしかるべきです。なんせ命を流すことになるのですから。ところがモーセの律法において暴力行為はそのように扱われていませんでした。以下の聖句をみてください。

出エジプト記21章18,19節
「18 また、人が言い争いをして、一方がその相手を石またはくわで打ち、そのものが死ぬことはなかったが床に就かざるを得なくなった場合、19 もしそのものが起き上がり、何かの支えによって戸外を歩き回れるようになるならば、これを打ったものは処罰を受けないことになる。彼は、その者を完全にいえさせるまで、その者の仕事から失われた時間に対してだけ償いをする」

石やくわで人間を打ったら血が流れると容易に想像できます。こうした暴力行為に対する代償は、相手に対する経済的な補償のみでした。命である血を流したならば、なぜ血の罪を問われて死刑にならなかったのでしょうか。出エジプト記21章の文脈を読めば分かることですが、血の罪を問われ自分の命をもって償わなければならないのは、相手の命が失われた場合のみでした。

② 月経・出産
月経にしろ出産にしろ血液が体外に流出する点では変わりません。血が命を表す神聖なものであるならば、月経や出産も神聖なものとして扱われるはずです。では、以下の聖句を考えてみてください。

レビ記12章1,5節
「1 ・・・女が胤を宿して男子を産んだ場合、彼女は七日の間汚れた者とされなければならない。月経中の不浄の期間と同じように汚れた者となる。5 さて、もし女子を産んだのであれば、彼女は十四日の間、月経のときと同じように汚れた者とされなければならない。」

血液が命を表す神聖なものであるならば、なぜ月経や出産が汚れたものとして扱われなければならないのでしょうか。モーセの律法では、神を崇拝するための神殿とその器具を神聖なものとするために、犠牲にされた動物の血が振り掛けられました。エホバの証人が主張するように、もし生きている人間の体内を流れる血液に命があり神聖であるならば、月経や妊娠のときに流れ出る血液が女性を神聖なものとしたはずです。でもそうではありませんでした。

 
まとめとして、聖書は確かに「肉の魂が血にある(新共同訳:生き物の命は血の中にある)」と言っていますが、それは命が失われた動物や人間の血液を指して述べているにすぎません。死んだ動物や人間の命が象徴的な意味で血にあるからこそ、血による贖罪が可能になったわけです。

聖書の記述を読んでいくと、生きた人間の血液に体外に出た場合は神聖なもの、貴重なものとして表現されていないことが容易に読み取れます。なぜならば生きた人間であるがゆえにその血液の中には命がないからです。

エホバの証人は「血は常に命を表す」と主張しますが、それは聖句の文脈や背景を無視し、特定の文を強調したに過ぎない主張であると言えます。

しかし聖書が「血を食べてはならない」と言っているのはなぜでしょうか。なぜ神は「魂(命)がその内にある血」を食べてはならないと命令したのでしょうか。その真意を考えていくと、エホバの証人の輸血拒否の教理がいかに神を冒涜するものであるかが明らかになってきます。

次回以降、輸血拒否は聖書と矛盾している教理であることを考察してきます。

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論⑤「血は神聖?」


エホバの証人はその根拠として医学的な理由と聖書的な理由を挙げています。医学的な根拠として挙げているいくつかの点は、簡単に論破できるものです。とはいえエホバの証人が輸血を拒否する上で主な根拠としているのは聖書です。
そして血に関する説明の中で必ずと言っていいほど出てくる表現が「血は神聖」であるというものです。

しかし本当にそうなのでしょうか?本当に「血は神聖」なのでしょうか?これは聖書に基づく考え方でしょうか?


※今回の考察のテーマに関しては 少年カレブさんの記事 の方がはるかに秀逸です。またカレブさん以外の方も輸血に関する多くの考察を残しています。とはいえ一連の輸血関連の私の記事は、JWの輸血拒否の教理の誤りに気づくまでの自分の思考過程を記録するために書いています。共感いただいたり参考にしていただければ嬉しいです

 
【血液そのものは神聖なのか】
エホバの証人が「血は神聖」と述べる一例を見てみましょう。ものみの塔誌2011年11月1日号p17にこうあります。


 血は神聖なものです。それは神が、血は生き物の命つまり魂を表すと言われたからです。(創世記9:3,4)神の律法は血を命と同等の価値を持つものとしています。その律法に基づいて、神は人間の罪が許されるようにしてくださいました。-レビ記17:11-13 ; ヘブライ9:22を読んでください。
 完全な人間だったイエスの血は特別に貴重なものでした。イエスは人類のために命を犠牲にした後、流した血の価値つまり命の価値を神に差し出しました。(ヘブライ9:12)それによって、私たちは永遠に生きることが可能になったのです。-マタイ26:28 ; ヨハネ3:16を読んでください。


血液に関するエホバの証人の典型的な説明文です。エホバの証人は創世記9章4節を引き合いに出し、価値の面で「命=血」であると言っています。つまり血液そのものが命と同等の価値を持つと主張しているわけです。ゆえに命が神聖であるように血も神聖であるというのがエホバの証人の論理です。

これが正しいという前提で考えると、聖書の記述に関してある疑問が起こります。
罪の許しのために犠牲となった動物やイエスはなぜ死ななければならなかったのかという疑問です。
もしエホバの証人が主張するように血液そのものが命と同等の価値を持つなら、体のどこかを傷つけて血液を体外に出し、それを神に捧げればよいわけです。殺される必要が全くなくなります。


しかし聖書中では、罪を贖うために捧げられる動物たちは必ず殺されています。またイエスも殺されました。

贖いや犠牲に関する聖書の記述はどのようなメッセージを私たちに伝えているでしょうか。命そのものが奪われない限り贖いは成立しないということです。つまり、血液のみでは罪の許しは成立しないわけです。

ローマ5章8節には「神は、私たちがまだ罪人であった間にキリストが私たちのために死んでくださったことにおいて、ご自身の愛を私たちに示しておられるのです」とあります。キリスト(メシア、つまり救世主)が死ぬ、つまり命そのものを神に捧げてはじめて贖いが成立して罪より救われ、それが神の愛となったことを、この聖句は示しています。

繰り返しますが、生きているキリストの血液を神に捧げるだけでは救いにはならなかったわけです。

命と血は同等の価値を持つゆえに「血は神聖」であるとするエホバの証人の主張は、聖書の記述と照らし合わせると大きな矛盾が生じるのは明らかです。むしろ血は価値の点で命と同等ではないことを示す記述で占められています。

これらの点は、エホバの証人による「血は神聖」とする解釈が聖書に基づいていないことを支持しています。旧約聖書中の犠牲に関する神からの指示を読めば、「血は神聖」であり命と同等の価値があるという考え方が謝りであるとすぐに理解できそうなものです。エホバの証人があくまで「血は神聖」と言い張る事実は理解に苦しみます。

しかし聖書が命と血液を関連付けていることは事実です。エホバの証人のいうように「血は生き物の命つまり魂を表す」と聖書は確かに述べています。では、それらの聖句の真意は何でしょうか。

次回以降の記事でそれらを検証していきたいと思います。

 

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論④「双胎間輸血症候群」

 

学生時代、ある講師の輸血に関する授業の中で、エホバの証人のことが話題にのぼりました。
そしてこう言いました。
「ある宗教の人たちは輸血を拒否します。しかし輸血しないとどうなるかを説明した上で、輸血を勧めると9割の人は受け入れます」

!???

驚愕の事実です。
すべてがエホバの証人のことを言っているとは限りませんし、話が誇張されているかもしれません。
しかし説得されて輸血を受け入れる人がエホバの証人の中にもいるのだという話は驚きでした。
現役のエホバの証人でも、輸血拒否の狂気に気づいている人が多くいるかもしれないのですね。
私が現役のときは輸血拒否の正当性についてなんの疑問も持っていませんでした。なんと愚かだったのか、自分が恥ずかしいですね。

 

前置きが長くなりました。

さて、エホバの証人が全血や血液の主要成分を拒否するのは周知の事実です。
またエホバの証人は血液分画に関しては受け入れます。
以前の記事でも触れましたように、エホバの証人が血液分画を受け入れる根拠として挙げているのは
① 母体と胎児の間で免疫グロブリンがやりとりされている
② 胎児のビリルビンが母体へ移行して母体から排泄されている
の2点です。

つまりエホバの証人が特定の血液成分を受け入れる上でのポイントは ① 別々の人間の間で ② 血液の成分がやりとりされているという点に集約されるでしょう。

この2つの条件が満たされれば、エホバの証人は血液の成分を受け入れるということになります。

では

血液そのものが別々の人間の間でやり取りされているということをご存知でしたか?

恥ずかしながら私は今までまったく知りませんでした。


とある授業でこの点が取り上げられたとき、イスとお尻の間に空間ができたんじゃないかと思うくらい飛び上がってビックリしました!

周産期(妊娠から分娩・産褥までの期間)の異常に関する授業でのことです。タイトルにある「双胎間輸血症候群」について勉強しました。

「双胎」とはいわゆる双子のことです。
赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいるとき、赤ちゃんはお母さんの胎盤を通して酸素や栄養をもらいます。
双子の場合は胎盤が1個の場合と2個の場合があります。胎盤が1個の場合、二人の赤ちゃんはそれぞれに臍帯(へその緒)を持ちますが胎盤は共有することになります。
このとき胎盤の中に吻合部(接続部)が存在し、二人の赤ちゃんの間で血液がやりとりされます。
この双胎間輸血のバランスが悪くなると一方の赤ちゃんに血液が多く、もう一方のあかちゃんの血液が少なくなり、下手をするとあかちゃんが死んでしまいます。
これを「双胎間輸血症候群(TTTS)」と言います。

 
さてさて

エホバの証人が血液成分を受け入れる上での2つの条件を当てはめて考えればどうなるでしょう?
双子の赤ちゃんは別々の人間です。その人間同士で全血がやりとりされている。

エホバの証人が全血を受け入れる理由の出来上がり!というわけです。

統治体のおじさま方、いかがでしょうか?
あなた方の輸血拒否に関する医学的な主張は矛盾だらけです。今すぐにでも輸血拒否の教理の誤りを認め、それを取り下げて、多くの人の命を危険にさらすことをやめていただきたい。


とはいえエホバの証人は使徒の聖句をとりあげて「血を避けるように」という命令に従う必要があると言うでしょう。

この聖句を検証するブログはたくさんあります。今後はこの聖句の真意を自分なりに分析していきたいと思います。

エホバの証人の輸血拒否の教理への反論③「輸血の代替医療」


エホバの証人が輸血拒否に関して論じるとき、必ずと言っていいほど次の2つの医療的な理由を強調します。

① 輸血の合併症というリスク
② 輸血の代替医療の存在

このうち①がいかに根拠のない主張であるかを以前の記事で触れました。

では②についてはどうでしょうか。

まず確認しておきたいのは、医療上の処置には必ずメリットとデメリットが存在するということです。必ずです。
どんなに良い薬でも、どんなに腕のいい医者の手術でも、どんなに高度な医療機器でも、必ずデメリットが存在します。リスクのないメリットのみの医療処置など、この世の中には存在しません。
そのため医師は、患者にとってメリットがデメリットを上回る医療処置を選択し、メリットと共にデメリットも患者に示してそれを受け入れるかを確認(いわゆるインフォームド・コンセント)して、医療を提供します。

※ 余談ですが、輸血拒否に関するエホバの証人の主張を聞くときに注意しなければならない点があります。彼らは、輸血についてはリスクのみを取り上げ、無輸血手術や代替医療についてはリスクに触れずメリットのみ取り上げるからです。冷静な方ならば、エホバの証人の主張が正当であることを示すための、非常に偏った論議であることにすぐに気づくと思います。

エホバの証人は輸血の「代替医療」についてDVDを作成するなど、かなり研究熱心です。
そして彼らはいくつかの医療処置を「代替医療」と呼び、輸血に代わるものとなると主張します。
しかし彼らの取り上げるいくつかの医療処置は、本当に輸血に代わるほどの医療なのでしょうか。
彼らのいう「代替医療」にはデメリットとなるものは存在しないのでしょうか。

エホバの証人が「代替医療」としてよく取り上げる3つの医療処置のメリット・デメリットをそれぞれ見てみましょう。

 

代替医療」とそのメリット・デメリット

① 血液希釈法
全身麻酔をかけた後に一定量の血液を採血して保存しておき、患者に輸液をおこなって体内の血液を薄める方法です。

メリット
・ 緊急手術にも対応する
・ 新鮮な血液を使用できる
・ 術中の出血量がみかけよりも少ない

デメリット
・ 採血できる血液量に限界がある(約1L)
・ 循環動態が変化しやすくなる
・ 手術時間が長くなる
※手術時間が長くなると手術に伴う合併症(肺水腫、無気肺、肺炎、下肢静脈血栓症など)のリスクが高くなります。


② 血液回収法
手術野から出血した血液を回収して患者の体内に戻す方法です。手術中の出血を吸引によって回収し、遠心分離器で必要のないものを除いて赤血球だけを戻す術中回収法と、手術後に出血した血液をそのままフィルタ-を通して戻す術後回収法があります。

メリット
・ 大量に出血する手術、出血量が予測できない手術、術後だけに出血する手術では有効である

デメリット
・ 溶血(赤血球が壊れる)の可能性がある
・ がん手術では使用できない
・ 血液に細菌・脂肪が混じる危険がある
※ 細菌が血管内にはいると敗血症を起こす危険があります。脂肪は血管を塞ぐので、脳梗塞や肺塞栓、心筋梗塞などの危険があります。


エリスロポエチン
腎臓で産生されるホルモンで、赤血球の元になる細胞に働きかけて赤血球への分化・成熟を促進します。腎不全による貧血にきわめて有効なほか、外科手術のさいにも自己血輸血のために利用されます。

メリット
上述の通り

デメリット
・ 脳梗塞心筋梗塞などの既往があると使えない
・ 血圧が上昇しやすい
※ 高血圧の患者には慎重に投与する必要がある


いかがでしょうか?

エホバの証人が輸血に代わるとするどの医療処置にも、メリットと共にデメリットがあること、すべての外科手術に有効ではないこと、重篤な副作用が起こりうることをお分かりいただけたのではないでしょうか?

エホバの証人の「代替医療」についてのDVDをみると、いかにも輸血などなくてもあらゆる医療が受けられるような印象を持ちます。
しかし実際には限定された医療処置であり、輸血にとって代わることができるほど万能ではないですし、メリットばかりでもないのです。
むしろ現在の医療では輸血がないと命を落としてしまう疾患がいくつも存在します。エホバの証人の輸血に関する文献には、それらの疾患について触れる記述は一切ありません。

もちろん輸血にもメリットはありますし、デメリットもあります。
医療は決して万能ではありません。
しかし医師や看護師などの医療職は、そうした限界の中でもできうる限り、メリットがデメリットを上回る仕方で医療を提供できるよう、患者のために最善を尽くしています。

エホバの証人が無輸血治療を熱心に勧めるのは構いませんが、ぜひとも正確で偏りのない情報を信者に提供していただきたいものです。
そして輸血を必要以上に貶めることは絶対にやめていただきたい。
その治療のおかげで助かっている命が何万何十万とあるのですから。

 

 

参考文献
・ 日本自己血輸血学会「自己血輸血とは」
・ 系統看護学講座 臨床外科看護総論 医学書院 P115「自己血輸血」
・ イーファーマ「エスポー注射液1500シリンジ 添付文書情報」
http://www.e-pharma.jp/allHtml/3999/3999412G2029.htm (2014年11月12日)
・ 系統看護学講座 薬理学 医学書院 P214「エリスロポチン」